エピソード『遺跡発掘(仮題)』


目次


エピソード『遺跡発掘(仮題)』

松崎渾(まつざき・こん)
冒険野郎な考古学者
田能村駿一(たのむら・しゅんいち)
文化庁特殊遺物室非常勤職員。
鬼崎野枝実(きざき・のえみ)
影使い。裏影社に狙われている。

県道52号線拡張工事に伴う遺跡調査

菓子食う人

野枝実
「暑ぅ……」

  蒸し暑い空気の溜まったトレンチの底で、野枝実は恨めしげに頭上の太陽を見上げた。
  霞山に程近い、山の中の遺跡の発掘現場。参加してまだ二日目の野枝実の仕事は、トレンチからの土の搬出だった。プラスチック製の箕に掬いあつめた土を、力任せに穴の上に放り上げる。ここのような小さな現場では、掘った土を運んでくれるベルトコンベアなどという、有難いものは存在しない。
  何杯目かの土を上げて、首にかけたタオルで汗をぬぐった野枝実の上に、穴の上から影が差した。
野枝実
「……?」
田能村
「休憩時間ですよ。他の皆さんはとっくに上がってます」

  逆光の中で、細い目が笑っている。知人の紹介で来ているという、他大の院生だった。
野枝実
「ああ、ありがとう……タノムラさん、でしたっけ?」
田能村
「覚えて頂けたようで光栄です。鬼崎さん」

  野枝実が穴から上がったのを確かめると、田能村は立ち上がって、膝についた土を払う。この炎天下、野外で土いじりの仕事中だというのに、三つ揃いの上着だけ脱いだいでたちで、汗ひとつかいていない。
  アームバンドでたくし上げた袖口に、乾いた土がついている。
田能村
「今日はチョコチップクッキーを焼いてきたんです。 分け前がなくならないうちに、上がってきてください」
事務所にて。野枝実が入ってきたときには、既にクッキーは残り少なくなっていた。
田能村
「なんだ、もうこんなに減っちゃってるのか…… 鬼崎さん、呼んできましたよ」
学生A
「あ、どーも。お先に頂いてます。 しかし……上手ですねえ、タノさん。今日のも旨いや」
田能村
「甘いものに意地汚いだけなんですよ、私は(微笑)……
クッキーを取り分けて)はい、鬼崎さんの分」
野枝実
「ありがとう、頂きます」
気を使っているというよりは、単に自信作を披露したかっただけらしい。麦茶を飲みながら見ていると、田能村は自分でもクッキーをかき集めて、心底嬉しそうな顔でぽりぽりやっていた。
学生B
「いつもながら、見事な食べっぷりだよなぁ…… そういや、松崎の旦那どんな様子だって?」
田能村
「来週には退院して、こっちに来るそうです。 まぁしばらくは、中の仕事しか出来ないでしょうけどね。今朝顔を出したときも『早く出せ』って吠えてましたよ」
野枝実
「先輩……?」
田能村
「私の紹介状を書いてくれた人です。 先に来ている筈だったのに、来る途中で事故っちゃって」
学生B
「なんでも、飛び降り……」
言いかけた学生に向かって、田能村は困ったようにちょっと笑ってみせる。クッキーを口に運ぶその学生の手が止まって、彼はそのまま、口を噤んだ。
田能村
「すみません、お茶のときの話題じゃないですね」
菓子屑のついた手をぱん、と払って、プラカップの茶を飲み干す。短い休憩時間は、そろそろ終わりだった。

復帰

田能村
「……皆さん」
発掘現場の、午前10時の休憩時間。いつものように、冷蔵庫からパステル調花柄のケーキボックスを出しながら、田能村駿一は厳しい表情で一同を見回した。
田能村
「今日から、あれが来ます」
一同
「……(黙って頷く)」
野枝実
「(一体……何なんだ?)」
田能村
「我々のすべきことは一つ。自分の取り分は自分で守る、 それだけです」
野枝実を除く全員が深く頷いたのを見届けて、田能村は話を続ける。
田能村
「出現予定時刻は午前10時、しかし幸いなことに、あれは まだここには現れていません。ということで」
ケーキボックスに手がかかる。
田能村
「位置について、用意」
現場を囲む塀の、入り口の扉が鳴る音を、野枝実は聞いたような気がした。
田能村
「どん」
じりじりと間合いを詰めていた学生や教官が、田能村のその声で、一斉にケーキに手を伸ばす。事情が呑み込めずに戸惑った野枝実も、ただならぬ雰囲気に押されて、慌てて一つ残ったタルトを取る。それに一瞬遅れて、野枝実の背後から伸びたごつい手が、ケーキボックスの底で虚しく空をつかんだ。
田能村
「残念でした。遅いですよ、松崎さん」
プレハブのアルミのドアが、外からの風に煽られてばたばた鳴っている。たったいま、そこから入ってきたばかりの男は、引っ込めようのなくなった手で空箱を持ち上げて、田能村の顔を恨めしげな顔で見上げた。
松崎
「田能村ぁ……お前わざと、一つ少なく作ってきたな?」
田能村
「朝になってから、今日から来るって連絡をくれたって、 ケーキを焼くのが間に合うわけないじゃありませんか。そんなことより、現場出勤の初日なんだから、挨拶くらいなさったらどうなんです?」
松崎
「へいへい」
箱を畳む手を止めて、男、松崎は、改めて事務所の中を見回す。既に秋、さして暑い日でもないのに、型くずれしたシャツを通った汗が、その上のフィッシングベストにまで染み込んでいる。癖のある髪から、ケーキボックスに汗の滴が落ちると、傍で見ていた田能村がちょっと嫌そうな顔をした。
松崎
「じゃ、改めて。毎度お世話になっている、文化庁文化財 課の松崎です。今年は訳あって、途中からの参加になりましたが、どうかよろしく」
ぺこりと会釈しながら、頭に手をやって、不思議そうな顔で田能村に聞く。
松崎
「なぁ、田能村」
田能村
「はい?」
松崎
「俺の帽子、どこ行ったか知らん?」
田能村
「どこって、何日か前に失くしたきりでしょう」
一同
「(笑)」
昼休み。松崎は手すきの新入生を集めて、なにやら妙なことを始めている。
松崎
「うおりゃああああっ!」
太い腕が、風を切る。赤と白に塗り分けられた測量用のポールが、廃土の山めがけて飛んで行って、山の中腹に突き立った。
助手
「お、やってるね」
野枝実
「槍投げ、ですか」
助手
「毎年恒例のピンポール投げだよ。松崎さんが来るといつ もやってる。しかしあの人、あれで本当に病み上がりかね」
野枝実
「ふうん……」
野枝実は松崎の方に歩み寄って、足元に積んであるポールを一本、手にとる。ポールを回収する学生達を眺めていた松崎が、ひょいと野枝実のほうを見る。
松崎
「あんたも、やるかい?」
野枝実
「一度だけ。いいですか?」
松崎
「ん。人がいるほうに投げるなよ。(山に向かって) おうい、回収班、どいたどいた。投げるぞお」
回収班がわらわらと散っていく。人のいなくなった廃土山に、ポールの尖った尖端を向けて、力任せに投げる。ポールがカーブのきつい放物線を描いて飛んで行き、廃土山の裾野の辺りに刺さる。
野枝実
「……意外と、飛ばないな」
松崎
「力だけ入れたって飛びやしないよ。何度もやってりゃ、 そのうちコツが掴めてくる」
野枝実
「松崎さんは、何年くらいやってるんですか」
松崎
「10年」
にっと歯を見せて笑うと、松崎はポールを取りに駆けていった。作業終了後。発掘坑ににシートをかぶせ、遺物の洗浄や整理の仕事を終えたときには、既に夜になっていた。
松崎
「じゃ、俺はいつもと同じに」
助手
「はいはい(苦笑)」
助手に鍵を渡された松崎は、事務所の隅にどっかりと荷物を置く。その様子を、はたで見ていた野枝実は。
野枝実
「田能村さん。いつもと同じって、何なんですか」
田能村
「あ、あれね。松崎さん、現場じゃいつも、夜番をかねて 事務所に泊まり込むんですよ。宿代が惜しいらしくてね」
野枝実
「宿代?」
田能村
「お金がない、というよりは、寝るところのためにお金を 払う気がない、といったほうが正確ですが。今回みたいに泊まれないときは、知り合いの家とか、あと 駅とか公園で寝ているそうですよ」
野枝実
「はぁ……(汗)」
話している間にも、学生たちは次々に次々に荷物をまとめて帰ってゆく。
田能村
「鬼崎さんも、そろそろご家族が心配なさる頃でしょう」
野枝実
「家族……ね(苦笑)」
田能村
「じゃ私は、明日のおやつの仕込みもありますから、この へんで失礼します」
床に座り込んで荷物を解きかけた松崎が、田能村の方を見上げる。
松崎
「何だお前、帰るのか。泊まってけよ」
田能村
「生憎と私には、最低限の文化的な生活と、あとお菓子を 作る台所が必要でしてね。お疲れさまぁ(だっしゅ)」
野枝実
「あ、お疲れさま(ちょっとびっくり)」
松崎
「おい、ちょっと待て田能……畜生、逃げやがった。 鬼崎さん……だっけ? あんたも早く帰らないと、弟さんが心配するぜ」
野枝実
「弟?」
松崎
「今朝すれ違ったとき、男の子を連れてるのを見たが」
野枝実
「(ああ、中原医院に行くときか)ええ、まあ……じゃ、 お先に失礼します」
松崎
「ん。お疲れさん」
その晩、野枝実の部屋で。
野枝実
「……友久」
友久
「何だ?」
野枝実
「あたしと晃一は、そんなに似てる?」
友久
「だしぬけに、何を言うかと思えば。何かあったのか?」
野枝実
「姉弟と間違われた」
友久
「……(笑)」
野枝実
「何がおかしい?」
友久
「知らない人間が見たら、確かにそう思うかもな」
晃一は、すぐ側で布団にくるまって眠っている。怒るに怒れなくなって、野枝実は苦笑した。同じ頃、現場事務所のプレハブで。机に頬杖をついた松崎は、手酌で酒をあおっている。
松崎
「(どうも、妙な感じだと思ったら…… 入院してる間は、こんな風に人気がなくなることなんざ、一度もなかったんだよなぁ……)」
久し振りの、天下御免で飲める酒のはずなのに、少しも旨くない。
松崎
「この間行った店……渋い声のピアノ弾きがいたっけな。 もういちど、顔出してみるか」
声に出してそう言うと、松崎はパイプ椅子から立ち上がった。

調査

深夜の発掘現場。いつものベストの肩に一張羅のジャケットをひっかけた松崎が、現場を囲む塀の鍵を開ける。頭に載った黒い帽子が、いかつい顔に影を落とす。星明かりの下に、現場事務所のプレハブが仄白く浮かび上がる。
  壁面に長い影を落として佇んでいた男が、松崎に向かって片手を挙げた。

田能村
「待ちましたよ、松崎先輩。こんなに待たされると判って たなら、合い鍵を作っておくんでした」
松崎
「済まんな、田能村。ちょっと飲みにいくつもりで、つい 長居しちまった」
田能村
「その帽子。この間、病院を脱走したときの店ですね?」
松崎
「ああ。こないだのピアノ弾きの代わりに、役者くずれの 兄ちゃんがいたよ……いま、事務所を開ける」
田能村
「あまり近くに寄らないでください。匂いだけで酔っ払い そうだ」

  事務所の中は、しんと冷え切っている。合板の長机を間に、二人は向かい合って腰をかける。先に口を開いたのは、松崎のほうだった。
松崎
「……で。例のブツは、もう出てるのか?」
田能村
「わからない、というのが正直なところですね。 それらしい破片なら何点も出ていますが、一体そのうちのどれが目的の品なのか、それともまだ出ていないのか。私たちに『力』を感知することが出来ない以上、それこそ全部接合してみて、余りを探すしかありませんね」
松崎
「でなきゃ、(壁際に積まれた出土品の箱を指して)あれ 全部、こっちでがっちり押さえとくか、だな。全くへーちゃんも、もうちょっと人選どうにかしろよな」
田能村
「今更言っても仕方ないでしょう。食べますか」
松崎
「ん」
田能村の広げたランチボックスから、サンドイッチをつまみながら。
松崎
「敵さん……裏影社、って言ったっけ? のほうは、それが わかる人間をちゃんと送ってきてるんだろうなぁ。いっそのこと、連中に見つけさせてから横取りするか?」
田能村
「それもいいですね(笑) ……ところで」

  ジャムサンドをひとくちかじって、田能村は顔を引き締める。
田能村
「あちら様が潜入させているのは、一体この発掘隊の中の どなたなんでしょう。
その後、何か調べはつきましたか?」
松崎
「ん。お前が送ってくれた参加者名簿を使って、東京の方 と連絡取りながら調べてみたんだが……ちょっと待った」

  ポットの茶をぐい、と飲み干して、床の荷物の方へ歩いてゆく。荷物の中を探し、ベストのポケットも全部探って、最後にズボンのポケットから出てきた紙片を、松崎は田能村の方へ突き出した。
松崎
「今年から来た奴を中心に調べて、いまんとこ怪しそうな のはそれだけだ」

  渡されたリストの中に、鬼崎野枝実、という名前を見つけて、田能村は微かに眉を顰める。
松崎
「ん? どうかしたか」
田能村
「いえ。これだけですか」
松崎
「いまんとこはな。全員ビンゴってこたぁないだろうが、 一応その連中から目を離さないでいてくれ」
田能村
「あなたもですよ」
松崎
「判ってる。なぁ、田能村」
田能村
「はい?」
松崎
「ひとを疑うってなぁ、たとえ仕事でも嫌なもんだなぁ」
田能村
「そうですか? 私は別に(にこ)」
松崎
「……そういう奴だよ、お前は(苦笑)」

裏影社、動く

波紋の一点

ことん、と、グラスが置かれる。

紗耶
「それで、定時連絡は入った?」
清姫
「いつもの通りにございました」
紗耶
「そっか」

  グラスに満たした透明な液体を、一口含んで紗耶は座り込んだ。
紗耶
「まだ少しかかるかね」
清姫
「それは何とも」

  微かに笑うと、紗耶はグラスをゆっくりと空けた。その間を見計らって、清姫が声を掛ける。
清姫
「申し訳ございませぬが……」
紗耶
「野枝実のこと? ……仕方ないんじゃない?」
清姫
「排除は、なさいませぬか」
紗耶
「しないよ。まだ関わるって宣言してないし」
清姫
「厄介では?」
紗耶
「多少の厄介は、あるもんでしょ」

  手酌でグラスを満たしながら、くすくす、と紗耶が笑う。
紗耶
「野枝実ちゃんの気性なら、詭弁だとか言って怒りそうだけど」
清姫
「先に捕らえてしまえば」
紗耶
「止めてよ、そういう無茶言うの」

  銀縁眼鏡越しに、じろり、と、腹心の傀儡を睨んで。
紗耶
「あんな猫娘、入れとく檻と、餌、ついでに水張ったバケ ツくらい用意しないと安心して捕まえられないわよ」
清姫
「水を張ったバケツ、でございますか?」
紗耶
「用事が済んだら、ぼちゃんと漬ける奴ね」

  さらり、と言い放って、また少し紗耶は笑った。
清姫
「石剣、と、伝えましたが」
紗耶
「一応その筈。……ただねえ、破片見てそうと解ってくれると 有り難いんだけど」
清姫
「順殿の柄は」
紗耶
「いざとなれば直実に持たして確かめるしかないね」

  視線の先で、清姫は静かに手を動かしている。
紗耶
「これはまだ、序の口。野枝実の餌を捕まえる為の、その為の 道具……全部は今のところ要らないわ。破片一つで充分」
清姫
「一つで足りましょうか」
紗耶
「余分な力は持たないこと。ばーさまの口癖だったからね」

  にっと笑うと、今度は勢いよくグラスを空けて。
紗耶
「では、待ちましょうか」

錯綜

気の所為にするには、余りに度々だった。

助手
「鬼崎さん、どこにする?」
野枝実
「はい?」
助手
「あみだくじ」
野枝実
「ああ、あの本の……私はいいです」
感情。確かに負の……しかし、悪意にまではなりきれない感情。休み時間、紙コップのお茶を飲みながら、野枝実は目を閉じた。
学生1
「あ、こいつまた当たった」
助手
「ほんとだ……雑賀くん、この本君行きだね」
自分に向けられる好意よりも悪意のほうに敏感であるのは、ごく自然な自衛本能であるように思う。好意は放置していても当座問題はないが、悪意のほうは放置すればするだけ危険である。……とすれば、今現在自分が気付いている、というだけで、この感情は悪意をかなりにして含んでいてもおかしくはない。……が。叶野の視線ではない。本人に会ったのは只一度。しかし、その視線は不思議なほど悪意を含まなかった。では、誰なのか。
鬼李
「ありうるとすれば、裏影社の叶野以外の人物、じゃないか?」
野枝実
「……発掘現場に?」
鬼李
「それとも野枝実、そうやってじろじろ見られるほど恨みを買った 相手が他にいるわけか?」
野枝実
「知ったことか」
鬼李
「影を使うのがばれた、とか?」
野枝実
「まさか」
言下に否定して、野枝実は溜息をついた。
野枝実
「……気をつけないといけない、ってことか」
鬼李
「そういうことだろうね……まあ、悪意ではないってのが唯一救いかも しれないが」
野枝実
「まあそうだけど……」
鬼李
「疑われているだけかもしれない」
野枝実
「なら問題無い」
鬼李
「……問題だと思うぞ」
野枝実
「問題無いさ。それが根拠があるならこちらはばれないようにすればいい。 もし根拠が無いなら……それこそ知ったことか」
言ってのけた野枝実の顔を見やって、鬼李は一つ溜息を付いた。

たずねびと

未明。霞山近くの、住宅街を少し外れた雑木林の中に、白い急拵えの塀が立て巡らされている。月夜のはずの空は低い雲にどんよりと覆われて、街灯の切れかけた電球が、塀のところどころをぼんやりと照らしている。車一台通らない林道の、ひび割れたアスファルトに靴音を立てて、ひとりの男が塀に沿って歩いている。黒っぽいスーツに身を包んだ、細身の若者。塀の一端に掲げられた、アクリルの一枚板の看板に、彼はふと目を留める。
  『県道52号線拡張工事に伴う遺跡調査現場』働いている酒場で、ここの話を聞いた。もしこの遺跡が思っている通りの場所であるなら、彼の捜しているものもここにある。いや、ここに現れるはず。

鷹央
「順……」
看板のすぐ横には、安っぽいアルミのドアがついている。口の中で呟いた名前を、頭の中で復唱して、彼、我那覇鷹央は、ドアノブに手をかける。鍵がかかっていると思ったノブは、意外にあっさりと回った。
鷹央
「不用心、だな」
塀の裏側に人の気配はない。頭上に用心しながら、蝶番を軋ませてドアを押す。やけに重い。そう感じて、ノブから手を離したときには、ドアの向こうに立てかけてあった何かが、けたたましい音を立てて倒れたあとだった。
鷹央
「(不用心過ぎたか)」
剥き出しの土の上に、車輪の取れた一輪車が転がっている。ひとつしかない入り口に、そんなものを器用に立てかけて帰る人間はいない。中にいる何者かの、警報のつもりか。それにしては、余りにも単純すぎる。心の中で舌打ちしながら、塀の足元の暗がりに身を沈めて様子を見る。広い現場の向こうに見える、プレハブの現場事務所から、人の出てくる様子はない。腹を決めて、事務所に向けて一歩踏み出す。その途端、脛に絡みついた何かの感触に、反射的に飛び退いたさきの地面が、頼りなくふかりと沈む。片足が辛うじて本物の地表にかかったおかげで、巧妙に隠された落とし穴にははまらずに済んだが、足に引っかけたピアノ線の先で、何かがさらに大きな音を立てた。
松崎
「こんばんは。ドロボーさんかい」
事務所の方から、低い声がする。膝の土を払って立ち上がり、声のするほうに目を向ける。プレハブの上がり口の、コンクリートの低いステップの上に、うっそりとした人影が蹲っていた。
鷹央
「(最初から外にいて、様子を窺ってたのか。道理で中か ら出てこないはずだよ)」
街灯の明かりは、相手のいるところまでは届かない。鷹央は動かない影に向かって、思い切って声をかけてみた。
鷹央
「偶然ここに迷い込んだ、善良な市民を殺す気かい?」
松崎
「善良な市民なら、最初の音で逃げ帰ってる筈なんだが。 一体何を捜してる?」
鷹央
「欲しいのはモノじゃない。人を捜しに来た」
松崎
「その人ってなぁ俺のことかい」
頬骨の高い、三十がらみの男の顔が、ライターの小さな火に浮かび上がる。文化庁の松崎渾。最近店に来はじめた客だった。
鷹央
「やっぱりあんたか。(笑)あんたなら、別に捜さずとも 会える」
松崎
「お前さんの声には聞き覚えがねぇが?(咳き込む) いけねえや。去年の禁煙がうまくいきすぎたみたいだ」
松崎はひとくち喫っただけの煙草を揉み消す。赤い光点が消えて、周囲が闇に戻る。
松崎
「夜ここにいるのは俺だけだよ。人を捜すなら昼間に来れ ばいい」
鷹央
「覚えてたらそうするさ。そっちへ行っていいか?」
松崎
「施錠を忘れて一般人を迷い込ませたのは、俺の責任だ。 五体満足で帰りたきゃ、そこから先へは来ねぇ方がいい」
ステップの影がゆらりと動いて、松崎が建物の中に消える。蛍光灯の寒々しい灯りが、無人の事務所と、それに面して立つ鷹央を照らす。鷹央と事務所の間で、時折きらりと光るのは、無数に張り巡らされた細い筋。
鷹央
「一般人、ね(笑)……敵じゃないのは確かそうだが」
開け放たれたドアに寄りかかって、無言で鷹央を見る松崎。鷹央は喉の奥で笑って、さっき倒した一輪車に手をかける。
松崎
「ブービートラップは見えるぶんだけじゃない。 線を全部切ったところで、危険が増えるだけだぜ」
鷹央
「だろうな。(苦笑)ま、無理に行く理由もないか」
松崎
「それが利口だよ。酒は好きか?」
鷹央
「嫌いじゃないな」
松崎
「そうか」
松崎の腕が動いて、何か小さなものを鷹央に向かって投げる。ピアノ線をかいくぐって飛んできたそれを、鷹央は片手で受け止める。
鷹央
「火炎瓶でも手榴弾でもなさそうだな」
松崎
「火をつけようと思えば、つけられんこともないがな。 好きなだけ飲ったらこっちへ投げ返してくれや」
手にやわらかく馴染むほどに磨り滅った、金属製のポケットボトル。生ぬるいその中身をひとくち飲んで、息をつく。
鷹央
「毒は入ってないよな」
松崎
「飲んでから聞くなよ。(笑)入ってるとしても俺の唾液 くらいだ」
鷹央
「あんたの? そりゃ大変だ(笑)」
口の中に、微かに金属臭い後味が残る。逆光になった松崎の顔は見えなかったが、どんな顔をしているかは大体想像がついた。
鷹央
「随分な歓迎ぶりだな。どんなお宝を抱えてるんだ?」
松崎
「少なくとも、俺個人にとっては価値はねぇな」
鷹央
「じゃあ何のために?」
松崎
「こいつで給料貰ってんだよ。ところで」
鷹央
「何だ?」
松崎
「お前さん、俺を知ってると言ったな。俺のほうには覚え がねえんだが、どういうことだ」
鷹央は答えずに笑って、すっと後ろを向く。次に振り返ったときには、長い黒髪の、少し疲れた顔の女が、そこにいた。
鷹央
「お久し振り。脱走患者の公務員さん」
少し掠れた、低い女声。
松崎
「ほう……こいつぁまた、化けたもんだね」
鷹央
「あまり驚かないのね」
松崎
「びっくりしすぎて驚くこともできん(笑)」
鷹央はくすり、と笑って、声だけ元の若い男に戻す。
鷹央
「ほとんど毎晩顔を合わせてるんだ。いい加減覚えろよ」
松崎
「てめぇの好きで化けておいて、無茶な注文してくれるぜ ……悪いが、そろそろこっちにも回してくれねぇか」
鷹央
「火をつけていいか?」
松崎
「勿体ない」
鷹央が瓶の口を閉めて、少し軽くなったそれを松崎の方に投げる。ボトルは二人の中間辺りで、見えないピアノ線の一本に引っかかって落ちる。影になった地面の何処かで、何かがどさりと崩れる音がした。
鷹央
「あ、済まない。取りに行くか?」
松崎
「俺がお前さんだったら、諦めるね。さてと…… 朝までにこの辺一帯、学生どもがどかどか踏んでも生きてられる状態に戻しとかなきゃなぁ。お前さんもそこに突っ立ってないで、そろそろ店に戻ったほうがいいんじゃねぇか?」
鷹央
「そうだな。安眠妨害して済まなかった」
松崎
「飲みたくなったらこっちから出向くよ」
ステップの上に佇む影に向かって手を振ってみせて、鷹央は現場を後にする。アスファルトを踏む彼の背後で、潜り戸の鍵を内側からかける音がした。いせきってなぁに? ------------------おやつの時間もとうにすぎて、そろそろ夕暮れ時。中原医院、中庭。鬼李、新と共に遊んでいる晃一。そろそろ野枝実が迎えが来てもいい時間帯である。しかし、そこへきたのは……
「友久おにーちゃんだ(手を振る)」
晃一
『あ、お兄ちゃん』
友久
「よお」
歩いてきた友久にまとわりつく子供達。
中原
「おや、今日はお父さんがお迎えですか」
友久
「……おい」
晃一
『お兄ちゃん、野枝実お姉ちゃんは?』
友久
「ああ、バイトで遅くなるらしいな」
「ばいと?」
中原
「鬼崎さん、何のアルバイトなさってるんですか?」
友久
「遺跡発掘とかいってたな」
鬼李
「肉体労働だな、実際は」
中原
「これまた変わったアルバイトですね」
晃一
『お兄ちゃん……いせきはっくつって何?』
友久
「ああ、遺跡ってのは、ずっと昔の人が建てた建物の跡や 道具のことで、発掘は、何かを掘り出すこと。つまり、遺跡を発掘するのは、土の中に埋まってる建物や道具を掘りだす事を言うんだ」
晃一
『へぇ……』
「そうなんだぁ」
晃一
『ねぇ、いせきはっくつって土を掘るお仕事なの?』
「面白そうっ」
中原
「色んなものが出てくるんですよ」
鬼李
「昔のお金とか、食器とかな」
「色んなものかぁ……」
晃一
『見てみたいっ』
友久
「見てみたいって、言われてもな」
中原
「見学にでも連れて行けないんですか? 面白そうじゃないですか」
友久
「こればっかりは、聞いてみないことにはわからんしな」
晃一
『お兄ちゃん、僕もいせきはっくつしたい』
「僕もっ!」
友久
「……わかった、野枝実に聞いてみる」
晃一
『わーい』
「やったぁ」
はしゃぐ子供達。半ば諦め顔の友久。
中原
「いやあ、子供って可愛いですねぇ」
友久
「……けっ」
そして、野枝実宅にて……晃一を寝かしつけた後の会話。
野枝実
「発掘の見学?」
友久
「いや……実は今日」
かくかくしかじか……夕方の話をする。
野枝実
「なるほどね、見学か」
友久
「こればっかりは、現場の人に聞かないとわからんだろ」
野枝実
「確かに」
友久
「別に無理せんでも、確認だけでいいんだが」
野枝実
「ん、わかった。とりあえず聞くだけ聞いとく」
友久
「ああ」

定時連絡

夜中の一時半が、連絡の時間と決まっている。

雑賀
「もしもし、雑賀ですが」
「『今日のお料理』六月号」
雑賀
「……ええと、38p」
暗号代わりのやり取り。相手の開いたページを電話のこちらで当てること。
「確認致しました……それで」
雑賀
「今日のところも、まだ、出てきてないようです」
「発掘の進み具合は」
雑賀
「まあまあ、です。……ただ、どうも、相手も疑い出して はいるようで」
「判りました」

  硬質の、耳障りの良い、しかしそれだけの声。叶野、と名乗る女性の側近の声。
雑賀
「どうします?」
「そのままに。雑賀さんは何もなさってはおられぬでしょう。 疑っても何も出てはきませぬ」
あっさりとした返事がある。
「もし何か分かりましたら、即、ご連絡頂きたい、とのことですので」
雑賀
「わかりました。じゃ、また連絡します」
「では」

  電話を切って、一つ溜息を付く。確かに自分は、積極的には何一つやってはいない。何一つやる必要もない、と初めから言われている。
  『経歴に傷つけたら申し訳ないですしね』
  そう言ってにこにこ笑った依頼主の顔も、良く憶えている。
  『永遠が、欲しいんですか?』
  『いえ、ただ、興味があるだけです』
  幾つもの選択肢の中から、正しいものを選ぶ。便利な、そして時に酷く重荷となる能力。もう一度溜息を付いて、彼は、目の前のカレンダーを見やった。
雑賀
「……!」

  その表情が変わる。カレンダーを手にとり、じっと見てその中の一枚を選ぶ。そしてそのページをじっと睨み、最後にとん、と、ある日付を突ついた。同じ動作を二度繰り返し、もう一度受話器を手に取る。
雑賀
「もしもし、雑賀です。追加連絡、ですが」
「先程のページ数は」
雑賀
「38p」
「確認致しました。それで?」
雑賀
「発掘予定の日が、判りました」

  意表を突かれたらしく、女が少し沈黙する。
雑賀
「三日後。その日に遺物は発掘されます」
「如何様にして、その日を見つけられました?」
雑賀
「日付を、選びました」
「成程。叶野に伝えおきます……有難うございます」

  ぷつり、と電話が切れる。彼は一つ息を吐いた。

続く

解説


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