小説『影のなか、二人』


目次


小説『影のなか、二人』

プレイエピソード第一話『水を恐れぬ超改研』のプレストーリーでもあります。

本文

細い隙間から光が漏れているのを確認する。
  「鬼李、頼むね」
  言うなりあたしの影から、するりと一匹分の猫の影が飛び出す。それは細い隙間から、中へと入って行く。
  鬼李は、もともとあたしの飼っていた猫だ。
  飼っていた、というと少し語弊があるかもしれない。まだ中学生の頃、うちの周囲を徘徊していた猫の一匹。偶然そいつが家の前で怪我して倒れていなければ、あたしも面倒を見ようとは思わなかったろう。もっと言えば、その時横に誰もいなければ、あたしはそいつをまたいで中に入ったろうが。
  「あ、猫」
  死んでるんだか生きてるんだかはっきりしない猫の体をそっとなぜて、花澄はそうつぶやいた。
  「まだ、生きてる……」
  あの頃、花澄はまだ、今よりも確実に自分の力を使っていた。彼らに向かって頼むだけではなく、時には命じることもあった。花澄流に言うと「それだけ彼らに頼っていたのよね」となるわけだが。
  だから、あの時花澄は、宙を見上げて、見えない何かを見据えるような仕種をした。泥んこの猫を片手でなで続けながら。
  そして、猫はいつのまにか元気になっていた。
  花澄はその頃一人暮らしをしていてそいつを飼えなかったから、あたしが結局引き取ることになった。
  「餌代は、払うわ」
  「いいよ、花澄って貧乏学生だし」
  あの頃、あたしの方が生徒で、花澄は家庭教師の先生だったわけで。それから言えば、あたしの言葉づかいはなっていなかっただろうけれども、花澄は注意一つもしなかった。いつも穏やかな、そして生真面目な顔をしてあたしの数学の答えを見ていた。
  とにかく、その猫は、家で餌をやることになった。無責任な話だけど、あたしにしたら本当に猫が死のうとどうしようと構わなかったから、その猫は相変わらず家の周囲を徘徊していた。ただ、週に二回、夜の7時になると、どこからともなくやってきて、家庭教師としてやって来た花澄に愛想を振り撒いていた。
  「名前、つけてあげたの?」
  その次の時、英語の単語テストの点をつけながら、花澄はそんな事を言った。
  「ううん」
  「薄情ね、野枝実は」
  餌をやっているだけで十分だと思っていたから、あたしは少しむっとして、その役を相手に押し付けた。じゃ、「きり」ってつけてあげる、かすみときりで、おそろいでしょう、と花澄は笑った。
  漢字を当てたのは、あたしだったけれども。
  「何かあった?」
  じきに影は、入っていった細い隙間からするりと抜け出してくる。鬼李は、にゃあ、と一声鳴いた。
  鬼李は、二年後に死んだ。
  もともと寿命だったのかもしれない。大体拾った時には既に、黒い毛が何だか茶色っぽく日に焼けてたし。
  ただ、何故か死ぬ間際にあたしのところに寄ってきた。
  電信柱の元。後ろにひいた長い影を振り返っては、鬼李はこちらを見やり、にゃあと鳴いた。
  二度、三度。
  「……何よ、お前」
  まるで……そう。
  まるで、影を取れ、というように。
  あたしは影を奪い、影を操る。但しそれは、本体が元気に生きている場合だ。はじめから生きていないものの影ならばともかく、死んでしまうものの影など、取りようが無い。
  それに、正直、恐い。
  と思っているあたしの心を読んだように、鬼李はよろよろと近づいて、靴の上に頭を乗っけた。そしてあたしを見やる。
  黄色っぽい、目。
  『お前は私と似ている』
  あたしにそんな力はない筈だから、この時鬼李の声が聞こえたのは、鬼李自身の力か、もしくは時折ここらで起こる奇跡の所為だろう。
  『お前は、私と同じ者を大切に思っている』
  春の日だまりのような、白い顔が脳裏に浮かんだ。
  『だから、お前の力を貸せ』
  変な話だけど。
  あたしが鬼李に力を貸したのは、この猫の態度のでかさのせいもある。何といってもその方が涙乍らに頼まれるよりも気分がいい。
  影を取り、あたしの方へ招く。
  と同時に、影の中に一対の瞳が現れた。輪郭線だけで描かれた瞳が、次第に色と深みを持ち出す。それに呼応して、本体の目の光はだんだんと薄れていった。
  そして、影の猫がぶるっと一度体を震わせて立ち上がった時には、鬼李の体は静かに息を引き取っていた。
  『子供がいた』
  猫は、優れたものだと五歳児並みの知能がある、ときいた。
  どうも、鬼李はそれに近かったらしい。それが、影の方に意識を移してからというもの、どんどんと磨きがかかっている。今ではあたしと対等だ。
  『男の子だ。何だか細っこい、弱々しい子だ』
  「……誰が子供を捜せといった?」
  ついでに、子供好きである。野枝実より性格はいいわね、と花澄が笑ったことがある。
  『この中に、大切に隠してあるものが、子供なんだ』
  「それって……」
  『大事な子供なんだろう』
  「分かったような口を……」
  鬼李は、もう一度にゃあと鳴くと、あたしの影の中に消えた。
  大学を卒業してから、花澄は遠い国へ行った。
  何を好き好んでそんな所へ、と思うような国だったけど、花澄には合っていたらしく、いつも楽しそうな手紙が届いた。もしかしたらあの国に、永住したいとか言い出さないよな、と心配していた頃。
  ふい、と花澄は日本に戻って来た。
  ある、事件があったのだという。
  あたしだったら、その程度のことで落ち込まない自信はある。大概の人が、どちらかというと自分の幸運を喜ぶような出来事。
  ただ、花澄にすれば、それを幸運と呼ぶことが出来なかったんだと思う。
  どんな風に悩んだのか、どんなことが派生して起こったのか。
  その殆どを花澄は話さなかった。ただ、抱えて来た酒瓶の中身を2人と一匹で分けながら、起こったことだけ話した。やはり、にこにこと笑いながら。
  ただ、鬼李が寄っていって見上げたときだけは、しばらく視線を合わせていた後、不意に、泣きそうな顔になった。
  鬼李が花澄に何を言ったのかは、知らない。
  「こども、かあ」
  白い、何の変哲もない建物。
  きっかけは何でもない。夜、晧晧と電気が点いていたから、その中の影を一つ呼び出しただけのことだ。
  何をやっているの、ときいたら、人体実験、と答えた。
  ……素直といえば、素直である。
  『気に食わない』
  鬼李の意見には、あたしもまあ賛成だ。こちらには関係ないことだから、放っておいてもいいかな、とも思ったけれど、鬼李が頑強に反対した。ましてその対象がどうやら子供だ、ときては。
  「さあて、どうしましょうね」
  取りあえず、今日は帰って寝る。鬼李もそれには反対しなかった。


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