小説052『二十五、あるいは四分の一、もしくは十分の一』


目次


小説052『二十五、あるいは四分の一、もしくは十分の一』

登場人物

狭淵美樹(さぶち・みき)
旅をする活字中毒の医学生。休学中。
柘柚(つゆ)
少女。

本文

正月一日。
 それは誕生日でもある。
 わたしは大晦日から正月に変わるその一瞬を、吹きっ晒しの駅のホームで迎えた。
 最初に思ったことは、「あ、18切符がまた一枚、使えなくなってしまった」という事だったのだが、その事はさておき。
 終電がなくなってしまっていて、二進も三進も行かないという事実に、次ぎに気がつく。
 もちろん今夜の宿は決めていないし、財布の中は百円玉が二枚こっきりと一円玉が三枚。後は予備の18切符が入っているだけになっているから、まぁ、夜が明ければ動けるは動けるのだけれども。
 いやそうじゃなくて。
 これがわたし、狭淵美樹(性別男。学生)の25才の誕生日なのだった。
 わたしは一つ、吐息をつく。
 一応、乾杯の真似事でもしておきましょうか。
 とりあえず、わたしは荷物をベンチの上に降ろすと、自動販売機の前に立つ。
 ホットコーヒーは砂糖やミルク入りのしか売っていないので、いつもの無難と言えば無難なホット緑茶にする。百円玉。十円玉。十円玉がなくてもう一枚百円玉。ランプの点灯しているボタンを押す。
 ガッコンと音を立てて缶が出口に落下する。いつも思うのだが、自動販売機の取り出し口は、決して取り出しやすいようには造っていないような気がするのだ。
 しゃがみ込む。左肩からショルダーバッグがずり落ちる。スチール缶を取り出す。熱い。肩にバッグを掛け直す。立ち上がる。
 で、左脚を軸に時計回り。半回転。
 〈あっと忘れてた、お釣りお釣り〉
 そのまま一回転。釣り銭を、取り出す。十円玉、十円玉、五十円玉、十円玉。結果、一回転半。
 荷物を置いたベンチへと戻る。歩きながら、一回くしゃみをしたりする。一月。冷え込むのは当然と言えば当然。Gジャンの中から丸まったポケットティッシュを取り出して、洟をかむ。ポケットティッシュの残量も心許ない。
 寒い。いや、まったく。
 25年前の冬。東北の母方の実家は、大雪の中に埋もれていた。
 そうだ。
 今日は、まだ、雪は降っていない。
 25年間もあれば、気候だって変わってしまえるのだろう。
 荷物を置いた、ベンチに戻る。
 ベンチの隅に子供が、一人。座っている。和服の女の子。
 わたしは荷物を席からホームのコンクリの上に移動させて、そこへと腰を下ろす。古いベンチが、ギィと軋む。
「寒い…………かもしれないな」
 そうかけられた声は、か細くて。どちらから発せられた声か、それどころかわたしに向かって発せられた声であるかどうかすら定かではなく。
「そーかもしれませんね」
 そう応える。
 応えてから、わたしが応えた相手が、ベンチの同席者である少女………いや、幼女か……であることを知る。
 ベンチに腰掛けてはいるものの、足は床に届いていない。少し作りものめいた印象。
 で、頬は確かに寒そうに、血の気が不足している。
 わたしは、自分の手元のホット緑茶の缶と幼女を見比べる。
「んっと、飲みますか?」
 プルタブを開けて、差し出す。幼い頃、缶ジュースのプルタブというのは実に手強い難敵だったことを思い出す。
「……………ありがとう」
 そう言って、受け取る幼女の手は素手だ。親御さんは、どちらにいらっしゃるのやら。
「わたしは、狭淵、狭淵美樹と申します。どなたかご一緒されている方はいらっしゃらないのですか?」
 二年参りへの道中、はぐれでもしたのか。
「私は柘柚。私は一人だ」
 一人。そう応える柘柚の顔からは感情を読みとれない。
「そうですか。わたしも、一人です」
 数寄な旅に出てから、そろそろ四ヶ月。旅の終着点は…………、まだ、見えていない。
「そうか…………。美樹、御主には帰るところはあるのか?」
 缶緑茶から口を離した柘柚に、逆に尋ね返される。
 下宿の雑然とした書棚。研究室に残したままの机。ベーカリー楠の馴染みの席。グリーングラスの店先。
「えぇ。そのうち、帰ります」
 そのうち。まだ、その時ではないけれども。
 いつかは。帰らなければならない。
「はやく、帰れると、いいな」
 呟き。
「春までには」
 わたしもつられて呟きで応えている。
 舞っている風の中に、雪のかけら。
「ゆき」
 つぶやき。
「わたしが生まれた日は、大雪だったそうでしてね」
 その単語に引き出されるように、語っている。
「二十五年前の、今日でした」
 四半世紀、生きてしまったのだ。
 長いといえば長く、短いといえば短い。
「奇遇だな…………私も今日が誕生日だ」
 缶緑茶を飲み干し、腰の脇に空き缶を置いて、柘柚が応える。
「二百五十年前の、今日」
 あぁ。なるほど。わたしは、なんとはなしに納得する。
 酔っぱらいが、胴間声で歌っている声が遠くから響いてくる。
 と〜し〜の は〜じめ〜の た〜め〜し〜とて〜〜
「終わり無き世なんて、無いのに」
「それでも、めでたさにかわりはありませんよ」
 終わりが有ろうが無かろうが。世界はあるがままに。
「そうかもしれないな」
 今まで無表情だった柘柚の口元が、少しだけ笑みの形になる。
「今年は、いい年になるといいですね」
「あぁ、そうだな」
 駅員のアナウンスが割り込む。〈明けまして、おめでとうございます。間もなく2番ホームに到着致します正月特別臨時列車…………〉
 わたしは苦笑する。正月臨時列車があったのか。この場で夜を明かすつもりだったのに。
 これに、乗ることにしよう。
「わたしは、この列車に乗りますが」
「私は、反対方向だ」
 そちらにも、臨時列車が運行するらしい。
 目の前に、注連飾りを付けた鈍行列車が滑り込んでくる。
 私は、ベンチから立ち上がり、荷物を肩にかつぎ上げる。
「それでは、また、もしもご縁がありましたら」
 別れの挨拶。
「あぁ」
 手動の扉を開く。
「今年こそ、捜しているものが見つかるといいな」
 わたしに向けられた言葉なのか、彼女自身に向けた呟きなのか。わたしは振り返って、自動で閉じた扉のガラス越しに、手を振る。
 動き出した列車の速度に、二百五十才の幼女の姿はあっさりとかき消えてしまった。

                          (Fin.)

時系列

1999年元旦。ローカル線の駅にて。

解説

関西を離れ、旅先の駅で迎える美樹の誕生日。
 その前にふと現れる幼女。
 旅先では、不思議な出会いというものもあります。


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