いー・あーるさんの作品です。
「えーと」
洗濯物を干し終わって、花澄は小首を傾げた。
「さて、今日は他に何かすることあったかな……」
春爛漫、といったところか。心地よい風が吹き込んでくる。年がら年中周囲を春にしている彼女にしても、この、一面春、の感覚は嬉しいものだ。
「お昼の用意は済ませたし、道はこの前教わったし」
花澄は、くすん、と笑った。
「春日丘に、言ってみようか」
ここに来たばかりの頃、教わったことがある。
……春日丘には、桜姫っていう姫様が祭られている……。
花澄の好きそうな姫君なんだって、そう言うと行きたくなるでしょ、と付け加えてけらけら笑ったのは、春日丘に建っている朱雀院大学に通う友人だが、確かに図星をついている。
地図も、この前書いてもらったし。
後は、取りあえず行ってみるしかない。
小型のリュックに昼食とお菓子と財布をつめて、彼女はとことこ歩き出した。多少の方向音痴でも行ける、との言葉どおり、彼女はすぐに朱雀院大学の正門まで行き着いた。
「……さて」
彼女を見て、大学生でないと判別するのは難しい。化粧っ気はないは、見たとこ21か22にしか見えないは、で、大概の人は黙ったまま勘違いしてくれる。ただ、勘違いされたままでは道を聞きづらい。
えーと。
花澄は空を仰いだ。さわさわと流れる風が、その時はっきりと方向性を持って彼女の肩を押した。
「……桜だあ……」
ほんのりと紅を帯びた花びらが、時を惜しむように散ってゆく。花澄は一つ息をついた。
「ここら辺、かしらね?」
朱雀院大学内の中庭。桜の木々の下の石造りのベンチに腰を下ろして、彼女は目にかかる髪を払った。
「会えたらいいのに」
気候の良い休みの日、それもテスト期間からは程よく離れている、とあって、大学生の姿は見えない。幸運だったな、と彼女は笑った。
リュックの中からアルミのポットとパンを出す。お昼間の花見には丁度良い。桜を見ながら、花澄はポットに詰めた紅茶を口に含んだ。
「なあんか……眠くなる……」
お昼も食べて、桜も見て、本も無くて、日当たりが良くて、となると、もう後は、花澄のすることは一つである。
「桜姫、出て来て下さらないし……」
留学先で彼女が身につけた習性の中に、どこにでも腰を下ろし、どこででも寝てしまう、というものがある。バスを待つ間、歩道の縁石の上に座るのが習慣の国に馴染んでしまってからというもの、どこへ行ってもこの癖が抜けない。
「眠い、ものね……」
いいわ、どうせ誰もいないし……後半は既に、半ば眠りの中である。
と、いうわけで。
この日、たまたま中庭を通りかかった学生は、その視力に応じて二通りの風景を見ることになる。極普通の視力を持つ学生は、少し苔むしたベンチの上でぐっすり眠り込んでいる髪の長い娘を見、もう少し特殊な視力を持つ学生は、その枕元でくすくすと笑っている美しい少女を見た、という。
そのどちらも、さらさらと散る桜の中の風景だった、という。
取りあえず、春である。